まじめな副業2024(簡単で怪しくない副業多数

「楽して大儲け」のような副業はありません。苦しくも楽しい副業の世界をやや辛口で紹介します。サラリーマン・主婦・在宅のおすすめ副業(副職・サイドビジネス)もまとめています。金額別(1万円~100万円)にも副業を分類しているので、自分がどれだけ稼ぎたいかでも仕事を探すことができるでしょう。

不労所得の現実

不労所得の現実

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(不労所得で生活していたものの、結局再就職することにした、風変わりな友人の話です。)

 不労所得を達成した男の告白

俺は35歳のおっさん。

アフィリエイトというビジネスをしている。

変動はあるけど、大体月50万円ぐらいはほとんど何もしなくても入ってくる。いわゆる「不労所得」というやつだ。

俺は独身で扶養家族もいないので、それで十分生活できるし、少々遊んでもまだ黒字だ。

同年代の既婚者の友人が小遣い月3万円ぐらいでやってるのに、俺は小遣い月30万円だ。でも、そんなにも使わないから結局貯金が増える。

一方で、仕事のストレスもないし、朝はいくらでも寝てられる。毎日休日なので曜日の感覚がない。ありがたい話だ。

 

ここまで読んで、嫌味な奴だなあと感じたかもしれないが、実はそんなにいい生活でもない。

結局、俺は手にした自由を捨てて再就職することに決めたのだ。

 

今は3月だが、4月から数ヶ月間専門学校に通って、年内には就職する予定だ。

それまで暇なので、俺が思うところを文章にして公開しようと思った。

 

結論を言えば、不労所得は人生の問題のすべてを解決してくれるものではない。もちろん、不労所得も、あればそれに越したことはないが、それは人生のゴールでは決してない。

達成してみて痛切に感じる。

 

というか、ゴールの先にはまたゴールがある。人生はそれの繰り返しで、天国や涅槃の境地は存在しないのだろうと思う。

 

俺がそう思うに至った経緯を順に書き記した。

将来的に不労所得を築いて、バラ色の人生を夢見る人たちに参考になれば幸いである。

1.サラリーマン時代はFXで大損

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俺も20代の頃は普通のサラリーマンだった。

結局30歳で辞めたが、悪い会社じゃなかった。同僚は良い人が多かったし、残業代もちゃんと払ってもらった。最近話題のブラック企業では決してなかった。

ただ、仕事は忙しかった。深夜残業や休日出勤も当たり前だった。

そして、取引先の人が高圧的で、いつも頭にきていた。首になってもいいからこいつを殴り飛ばして土下座させてやろうかと何度思ったことか。

 

つまり俺は常にストレス過多の状態だった。

それが今だけ、若手のうちだけというなら、あと数年間我慢したかもしれないが、先輩たちは俺より頑張っていたし、いつも疲れていた。つまりこの会社にいる限り、ずっとこの状態が続くようだった。

定年までの30年間、これ我慢できるかと言えば、明らかに無理だった。

 

かと言って、今会社を辞めたら生活に困る。そう、生活さえなんとかなればいいと思い、俺は給料以外の収入源を求めた。

手を出したのがFX(外国為替証拠金取引)だった。

 

それで稼げるようになったら、会社を辞められる。嫌な取引先に頭を下げなくていい、毎日好きなだけ寝てられる。つまりFXは俺の困難な状況を脱出する「出口」だった。言い換えれば、天国への入り口だろうか。

俺はそれしかないと思って、そこに向かって猛ダッシュした。朝から自宅のPCで相場のチェック、昼は便所で携帯でトレードしたりしてた(ブラック社員だね)。夜はずっとトレード。それは楽しい作業だったが、そんなにうまく話が進むわけがない。やればやるほと金を失った。

 

結局、俺は大損をして、相場から撤退した。夢は見させてもらったが、現実は厳しかった。

じゃあ、やっぱりあと30年我慢するしかないのか。

 

…やっぱり無理だった。

結局俺は給料以外の収入源がないまま会社を辞めた。

そして、日本を出て海外で2年間過ごした。

 

日本に帰国する数ヶ月前、では日本で何をすればいいのか本気で考えた。

もう会社で働くのは嫌だった。

しかし、金を稼ぐ必要があるので、自分一人でできる仕事を考えた。それがアフィリエイトだった。

2.アフィリエイトで月収40円から70万円へ

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アフィリエイトとはブログなどのウエブサイトを作って、そこに広告を貼り付けて稼ぐ仕事である。

ネットショプとは違い、商品を仕入れる必要なく、仮に広告の商品が売れなくとも在庫が発生したり損をすることがない。

初期費用もほとんど必要ないので、参入しやすいビジネスである。

さらに、ウエブサイトは一回作ってしまうとそれほどメンテナンスは必要ない。だから、完成すると上手く行けば後は勝手に金を稼いでくれる。言わば自動販売機のようなもので、ほぼ不労所得になる。しかし、稼ぐのは簡単ではないし、参入障壁が低い分だけライバルも多い。

FXは稼ぎやすそうなイメージを持って始めたが、アフィリエイトは稼ぐのは難しいだろうと思って始めた。俺の人生を賭けた本気の勝負だった。

 

2011年4月に帰国して、本格的にアフィリエイトを開始したのだが、気合は十分だったので、一日12時間以上ほとんど休日無しで作業をし続けた。

はじめの月の月収は40円ほどだった。40万円じゃないよ。40円な。時給換算では20銭ほどだった。

 

次の月も大体それぐらいの収入だった。覚悟していたけど、やっぱり厳しい世界だった。

しかし、儲からないという事以外は悪い生活ではなかった。

一人でやってるから何時から仕事を始めてもいいし、眠たかったら昼寝していいし、自由に仕事できるのはサラリーマン時代と違ってありがたい話だった。また、嫌な取引先もおらず、人間関係のストレスもなかった。

これが俺の天職ではないかと思った。儲かるようになれば。

 

結局、月収1万円を超えたのは10月になってからだった。思ったより遅いペースだった。

この頃、俺は貯金と取り崩して生活していたが、貯金も大した額ではないし、稼げない日々が続いて徐々に焦るようになっていった。

しかし、就職は考えなかった。ここで就職するなら、あのまま会社に残っていたほうが良かった、ということになる。

俺には退路がないと思って、必死に作業し続けた。人生で一番頑張っていた時期かもしれない。

 

そしたら、神は俺を見捨てなかった。翌年2012年3月には月収15万円に到達した。多くはないが、それだけあればなんとか生活できるぐらいの額が稼げて俺は嬉しかった。

その後も急激に伸びて、5月には36万円まで行った。普通に働くのと同じぐらいの額が稼げるようになって感慨深かった。

6月には事業を法人化して、俺は株式会社の社長になった。

ついこないだまで月収1万円以下の無職同然の男がいきなり社長である。俺は有頂天、天下を取った気分だった。

嬉しくて、早速代表取締役社長という肩書を入れた名刺を作ったぐらいだ。

 

この頃から少し満足して、作業時間が減ってきたが、その後も快進撃は続き、その年の12月には約72万円まで行った。俺のサラリーマン時代を凌ぐ、いやそれどころか、課長より多いぐらいの月収である。

また、12月には3週間ほど海外旅行に行ってきたが、それでも収益は落ちなかった。アフィリエイトはうまく軌道に乗れば不労所得に近くなるので、何もしなくても金が入ってきた。

 

この頃が一番気分が良かった。

だが、翌年以降、俺は考えを変えていく…。

3.暇つぶしの人生

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俺は元々億万長者を目指してアフィリエイトを始めたのではない。

ストレスフリーな仕事でハッピーな人生を送りたいと思っていただけだ。俺の私生活は至ってシンプルである。

趣味はネットサーフィンとラーメン屋巡り。

グルマは興味ない、風俗には行かない、ギャンブルもしない。

それはいいが、彼女もいなければ友人も少ない(苦笑)。

でも、付き合いが少ないから交際費も少ない。

 

別に節約しようと思ってそうなったわけではなく、それは元々の俺の性格である。

だから、普通に生活するぶんには月に20万円もあれば十分なのである。

 

このアフィリエイトの世界では月に100万円以上稼ぐ人も少なくない。俺も何人かそういうスーパーな人に会って話をしたことがある。

さらに、俺は直接話したことはないが、月に1000万円以上稼ぐウルトラな人も若干いる。

 

そういう人たちに憧れつつも、俺はこれ以上頑張れなかった。

現在月50万円稼いだとして、それが月100万円になったら、それは嬉しいだろうが、幸せが2倍になるわけではない。

クルマのような金のかかる趣味があれば、稼いだ金の額=幸せ、となったかもしれないが、元々物欲の少ない俺からすると、これ以上稼いでも貯金の額が増えるだけだ。

 

そう思うと、勤労意欲が著しく削がれた。

2011年4月、本格的にアフィリエイトを開始した直後は一日12時間以上作業していたが、それが徐々に減ってゆき、2013年前半には2時間程度になっていた。やる気がしなくて何もしない日も多くなった。

それでもしばらくは収入は落ちなかった。

1日2時間の作業で月に50万円を稼ぐって、凄いことだ。時給換算すると1万円ぐらいだろうか。なかなかそんな仕事ないよね。

 

1日2時間しか作業しないとして、じゃあ他の時間に何をするかといえば、大したことは何もしてない。

大好きな趣味に没頭するとか、自分を磨く努力をするとか、そういうことはほとんどない。

ネットサーフィンして、昼寝して、ブックオフにマンガを立ち読みしに行って、夜は一人で酒のんで寝る、というぐらいである。

 

はっきり言って俺は暇だった。同年代の友人は仕事や家庭に忙しく遊んでくれないし、誘いにくい。ずっと一人で暇つぶしをしていた。

ラクな日々だったが、楽しくはなかった。毎日モヤモヤとした気分で過ごしていた。

4.ほぼ不労所得完成

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2013年5月までは月収50万円以上をキープし続けたが6月に外部環境の変化で40万円を割った。その時はちょっとやる気位が出て、作業時間が増えた。その後は一進一退で、30万円を割った月もあったが、結局2014年には50万円台を回復した。2013年の秋ぐらいになると、やる気がなさすぎて、作業する日より何もしない日の方が多くなった。それでも月40万円から50万円が自動的に入ってきた。

働かなくとも、金だけは入ってくる。まさに不労所得である。

しかし、

不労所得最高!念願の経済的自由を手に入れて、人生ゴールです!

ハッピーエンド(完)

とはならなかった。

 

毎日が暇で仕方ない。暇で死にそうだ。

余命短い老人ならともかく、俺はまだ30代半ばで元気いっぱいである。この先何十年もこんな暇が続くことに我慢できない。有り余る時間に押しつぶされそうになる。

暇を潰すために酒の量が増えた。良くない傾向である。

 

アフィリエイトで一定の成功を収め、会社員時代の苦しみから逃れることができた。それは素直に喜びたい。

しかし、それを達成しても、結局別の悩みが発生するのだから皮肉なものだ。

 

悟りを開いたわけではないが、少しまた世の中がわかった気がする。

結局どうしようか迷ったが、就職することにした。

 

次は海外で働こうと思う(職業は一応伏せる)。多分途上国になるから給料は低いが、そんなことは問題ではない。

充実した仕事と生活ができればそれでいい。とりあえず、暇すぎず、忙しすぎずだ。

 

2014年4月からしばらく専門学校に通って、年内には赴任したい。月収5万円程度で海外で働きたいという物好きは少ないらしく、専門学校の人が言うには就職は楽勝らしい。

 

結局、専業アフィリエイターは3年で終わり。はじめは苦労したが最後の1年はほぼ不労所得だった。

でもラクだった最後の1年より、稼げてなかったが必死に頑張って作業していた最初の1年のほうが充実していたかもしれない。

 

今後、アフィリエイトも完全に止めるわけではないが、これからは作業する時間もあまり取れなくなるので徐々に収入は減少していくはずである。

アフィリエイトも良い仕事だったと思う。選んで正解だったとは思うが、これ一本に人生をかけるのは、俺には難しかった。これからは少し距離をおいて関わっていきたい。

 

さて、これから勉強が忙しくなる。毎日寝てばかりもいられない、酒も少しは控えないといけない。

でも、それでいいのだ。俺はこれから始まる忙しい生活にワクワクしている。

 

さらば、不労所得の日々。かつて憧れたが、結局俺にはもったいなすぎたよ。

 

「人生には2つの悲劇がある。1つは願望が達成されないこと。もう1つはそれが達成されることである。」

by バーナード・ショー

 

(完)

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